パーミーはタイ人の母とベルギー人の父を持つハーフの女の子として生まれた。中学2年生まで(12歳)バンコクの聖マリア学園で学生生活を過ごし、その後、母親とオーストラリアに渡った。
オーストラリアでの滞在中、パーミーは音楽、美術など、タイにはない新しい刺激を受けた。それらは、彼女の人生の次のステップに多大な影響を与えた。学校では美術学を専攻し、時間があれば、展覧会、博物館や画廊によく通った。また、歌も好きだった彼女は、友達とよくカラオケにも遊びに行った。毎日のようにCDショップに入り浸り、あらゆるジャンルの音楽を聴き、パーミーは、そのうち「歌うこと」そのものに興味を覚えたのだった。
パーミーは、一人で歌の練習を始めた。毎日、夜が更けるまで彼女は歌い続けた。そして、彼女はタイへ帰ることを決意し、自作自演のテープを準備し、GMM
GRAMMY社の門を叩いた。しばらくして、傘下のレーベル“RPG”で、「チャイ・ハーイ・パイ・ルーイ(心を失ってしまった)」の英語バージョンの作詞を担当するチャンスを得、その後トゥイ・ティラパッドの「ルー・トゥア・ワー・ディー・マイ・ポー」のコーラスにも参加した。その後、いよいよ、2002年12月に彼女自身のデビュー・アルバムがリリースされた。
デビュー・アルバム『PALMY』の楽曲は、ポップ・ロックと称されるジャンルで、パーミーの自由な考え方が反映した作品だ。音楽が好きで好きでたまらなくて、だからこそ「幸せ」だと感じる、彼女自身の感情が醸し出す雰囲気や繊細さがうまく表現されている。アルバムのパイロット曲「ヤーク・ロン・ダン・ダン(大声でうたいたい)」がリリースされ、ラジオから楽曲が流れ出すと、多くの人が彼女の存在を知るまでにそんなに長い時間はかからなかった。
約1年間のLIVEツアーと7ヶ月の制作期間を経て、2003年7月、セカンド・アルバム『STAY』が発売された。このアルバムのテーマは、「今なお、彼女はここに歌手として、がっちりと存在している。彼女はアーティスト以外の何者でもない」ということだ。音楽のスタイルや楽曲に関しては、前作の秀逸さを踏襲するために、プロデューサーや作家チームは、同メンバーを起用した。ポップ・ロックの存在感を示した作品で、より明確に楽曲に込められた感情を伝えてくれる。
しかし、他にはないオリジナリティをもち、けっして焼き増しではない各楽曲のテーマは、彼女自身の経験や、日常の生活の中で本当に生まれ出た感情を映し出したものだ。このアルバムでは、パーミー自身がサウンド・デザインを担当し、すべての楽曲のコーラスも務めた。ゲスト・ミュージシャン、
”ジャック” チャウィン・ジットソムブーンを迎え入れ、「STAY」ではアコースティック・ギターを弾いてもらった。また、「ファン・ディー・ケー・マイ・キー・クン(良い夢は、幾晩も見ることはない)」は、彼女が作曲を担当した曲でもある。